内村鑑三
http://www2s.biglobe.ne.jp/~yukiya-s/home-2/uchimura.htm
ところが、いったん、キリスト教と武士道の精神が矛盾するものではなく、ともに自己を鍛える崇高なる道徳律であることを理解すると、在学中に「信仰の独立」を唱え、外国の援助や干渉を受けない独自のキリスト教を主張したのだ。
武士道に接ぎ木されたキリスト教
http://www.tennoji-h.oku.ed.jp/tennoji/syakai/rinnri/natuhosyu4.htm
1873年、キリスト教の禁止が解かれると、欧米諸国の宣教師たちは活発な布教活動を開始しました。ことにプロテスタンティズムは西洋近代の啓蒙思想の一つとして受け入れられ、新島襄、内村鑑三、植村正久、新渡戸稲造らキリスト者が育っていきました。
特に内村鑑三は西洋文明の進歩の根本にキリスト教を見出し、維新後の日本の取るべき道をそこに認めました。鑑三は「武士道に接ぎ木されたキリスト教」を日本に定着させることを願い、そこからただ愛すべきは二つのJ(日本とイエス)であるという姿勢をとり、無教会主義を唱えました。又、彼は『万朝報』によって足尾銅山鉱毒事件に関わり、また日露戦争にあたっては非戦論を唱えました。一方従来の宗教においては、明治政府の復古的側面が神仏分離令・国家神道の形成というかたちをとったため、廃仏毀釈が起こりました。そのような中で島地黙雷や清沢満之の仏教の革新運動もおこったのです。
http://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/zadankai23.htm
「滅私奉公」と言いますが、武士道は個性を消して主君に従うのではなく、義のためには死しても己を貫くことを武士に要求していたのです。つまり、武士とは主体的な個人であるべきでした。
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| デンマークと日本 | 炭谷氏の考察から |
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/index.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/ch3/u1/t1.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/ch3/u3/t2.html
やすい>新渡戸稲造や内村鑑三のキリスト教は、武士道に接ぎ木されたキリスト教でした。清廉・無私という武士道の精神は、キリスト教と共鳴したわけです。西田先生はそれほど意識されなかったかもしれませんが、無の論理にしてもやはり禅・武士道・キリスト教に共通する文脈で読み取られていたのではないでしょうか。私がそうした心情の純粋性を大切にする価値観に対して不安を感じるのは、一端決断してしまいますと、どんな残虐な大量殺戮行為だってやってしまいかねないという気がします。
西田>それは心情の純粋性とはあまり関係がないと思います。プラグマティックに効果だけを尊ぶ合理主義者は、必要とあれば毒ガスや原子爆弾を平気で使用するでしょうから。また金儲けに夢中の西洋人は、アフリカで黒人狩りをして大量に船に乗せて、アメリカ大陸に運んだじゃないですか。唯円著『歎異抄』で師親鷲は、虫も殺せないようなやさしい人間でも、状況次第で、一人どころか何百人でも殺してしまうこともあると説いています。もちろん大量殺戮行為でも単なる気まぐれや遊びでやっているわけではない場合、それをする者もされる者も地獄を見ているわけです。我々は残虐行為を決して人間として認めるべきではありません。しかし彼らが凄まじい地獄を体験したということは、忘れてはならない事として現在を限定しています。その意味で「過去という現在」なのです。
http://d.hatena.ne.jp/teiseki/20040228 http://www.geocities.jp/teiseki/dentou.htm
1 明治政府の推進する「文明開化、殖産興業、富国強兵」の国策の
下で成人した人々は、いわゆる二代めのボンボンだった。欧米列強
に対して創業初代は恐怖心が先だったが、二代めのボンボンは亡国
の心配が無くなった分だけ気楽な立場にいた。欧米の先進文明に無
邪気に驚嘆して、それを手本にすることだけを考えていればよかっ
た。自主独立の気概が薄れ、先輩の敷いたレールの上を忠実に走る
ことしか念頭に無かった。
革命政権は自分が打倒した前政権を全否定せずにはいられない。
明治政権も例外ではなく徳川政権を全否定した。その為に次の世代
は古き良き伝統を受け継ぐことが出来なくなってしまった。
過去二千年間学び続けた中国文明を弊履の如く捨て、全く異質の
欧米文明を受け入れる、それはそれで一大難事業だ。しかし、虚心
に異国の文明を受け入れる、それは昔から日本人の得意技だ。儒教
や仏教によってかなり歪曲されたとはいえ、日本人の心の奥底には
「無私」がある。これは何が入ってきても拒否しない。西洋人のエ
ゴもあっさり受け入れることができた。しかしここで百八十度方向
転換を強いられた。従来は「無私」に従って生きていたのに、明治
以後日本人はエゴに基いて生きてゆかねばならないことになった。
エゴを受け入れるのは知性だ。意識の表面ではエゴを承認しても、
意識の深いところでは日本人は相変わらず「無私」を絶対視してい
る。しかし国の存亡がかかっている時に、悠長なことを言っていら
れない。必要不可欠だから受け入れねばならんのだ。感情とか無意
識とかの次元は無視せざるを得ない。知性優先の生活に切り換えて、
明治の日本人は欧米文物の摂取に全力を傾けた。猿真似であれ何で
あれ、吸収できるものは何でも吸収した。それ故、明治以後の日本
人は「無私」を抑圧しなければならなかった。しかし無意識の領域
に押し込まれ、抑圧されればされる程、それはエネルギーを蓄える。
そしていつの日か必ず殻を破って奔出する。
「教育勅語」と「五個条の御誓文」を比較すれば、明治人の心理的
退行現象がよく判る。無私に徹して新しい国作りにとりかかること
を天皇が神々に誓った「御誓文」の平明さに比して、「勅語」の晦
渋韜晦ぶりはどうだろう。「教育に関する勅語」の筈なのに師弟関
係について遂に言及しない。おそらく出来なかったのだろう。「師
と帝王のどちらに従うべきか」と訊ねたら、儒者は明快に答える、
「師に従え」と。しかしそれでは大日本帝国が崩壊する。「教育勅
語」は明治政府が国民に絶対服従を要求する為の詐術だ。天皇の天
皇たる所以が「無私」にあることを知らない連中の作文だ。腐儒の
「子曰く」と同質だ。まるで呪文だ。細部は非のうちどころなく彫
啄されているが、儒教から借用した徳目を羅列したにすぎない。
「攘夷」を叫んで「開国」し「王政復古」と称して「文明開化」を
推進した詐術をもう一度使ってみたくなっただけだ。
新政府が音頭をとって「近代化」に乗り出したのに、それが過熱
して自由民権運動を惹き起してしまった。政権基盤が危なくなった。
それで大慌てに慌てて「近代化」にブレーキをかけようとして、維
新で否定した筈の過去の亡霊を引っ張り出した。徳川三百年間武士
の必修科目だった儒教、しかもよりによって絶対忠誠を説く朱子学
を「教育勅語」の中に取り込んだ。前の時代の怨霊を取り込んだの
だから、後が大変だった。
「教育勅語」に最敬礼を拒んだとして一高講師内村鑑三は生徒の
指弾を受け、その職を追われた。「クリスチャンが天皇現人神信仰
を受け入れられる訳がない、天皇の肖像や写真に最敬礼できないだ
ろう」と疑った人々がいた。明治二十四年一月一高でも教育勅語奉
戴式が行われた。一斉に全員が上体を四十五度曲げて礼をした。ほ
んとに全員が最敬礼をしていたならば内村鑑三が頭をどれだけ低く
したか見える訳がない。目撃者がいたとしたら、奴も最敬礼をして
いなかった筈だ。内村鑑三は頭を下げ、応分の礼をつくしたと言っ
たが、誰も信じなかった。
「四民平等」になって能力さえあれば誰でも学校に入れるようにな
った。帝大、陸士、海兵等の学校を卒業すれば、立身出世は約束さ
れたも同然だった。学校で最新の西洋知識を学んだ。鵜呑み丸暗記
の上手な生徒が秀才として高く評価された。時代が国家がそれを求
めていた。彼等は西洋の最新知識技能をできるだけ短期間に吸収し
て、日本近代化の尖兵たるべく期待されていた。学校の席次が立身
出世の順位でもあった。
学校で最新の西洋知識を学んだのだから、いやでも合理的思考を
身につけてしまう。西欧近代合理主義と天皇現人神信仰は絶対に相
容れない。ところが、学校では天皇現人神説を奉じなければならな
かった。郷党家門の期待を担って遊学し、激烈な競争試験に合格し
た少年には、立身出世は至上命令だった。将来の立身出世を望むな
らば、天皇現人神信仰を奉ずるフリをしなければならなかった。自
分一人の良心なぞ捨てなければならなかった。将来のエリートは己
れを偽らない訳にはゆかなかった。
激烈な入試を突破してエリート養成校に入学した生徒たちは自分
が特権階級の一員であることを知っていた。知っていたからこそ、
旧制高校寮歌の全てに見られる特殊な感情―――俗世間を蔑視して
高邁な理想を追求する者の同志的連帯―――に酔い、自分を忘れる
必要があった。立身出世コースをひた走るだけの欺瞞的生活を誤魔
化す必要があった。自己欺瞞は人格を堕落頽廃させずにはおかない。
自分を欺いて生きるならば、他人を欺くことも平気になる。
昭和十六年十二月八日本海軍の真珠湾奇襲によって日米決戦が始
まった時、一週間たらずでアメリカの太平洋沿岸の大学から男子学
生の姿が消えた。それから三週間後クリスマス休暇が終わっても男
子学生は現れなかった。アメリカ全土の大学から男子学生の姿が殆
ど消えてしまった。何処へ消えたのか。日本との戦争をアメリカ合
衆国存亡の危機と見て、彼等は戦場に赴くべく軍に志願したのだっ
た。翻って日本の学生はどうだったか。学生に与えられた徴兵猶予
の特権をフルに活用して、商店や工場で働く同年令の若者が続々と
軍隊に召集されてゆくのを、冷やかに傍観していた。開戦から二年
も経って後「学徒動員令」が東条首相から下されて漸く、渋々嫌々
戦場に向かった。「忠君愛国」を骨の髄まで叩きこまれた筈の、日
本の将来のエリートの偽らざる姿がここに見られる。腐敗堕落して
いたのはエリートの卵だけではなかった。既に日本国家の上層部は
内部から腐敗しきっていた。だからこそ彼等の多くは戦後「どうし
てあんな勝つ見込みのない戦争を始めたのか」と訊ねられても、マ
トモな返答ができなかった。戦争を煽りたてた大新聞も「一億総懺
悔」とか言って己の責任を誤魔化すのに忙しかった。
そもそも学校では日本の伝統を教えることができなかった。立身
出世に狂奔する人々にエゴイスティックであることは期待できても、
無私を期待することは出来ない。明治の近代化路線は古来の伝統
「無私」を蔑視無視することはできても、それを養うことは望むべ
くもなかった。
ある時期にインテリ階級の最良の部分が、私有財産を否定する共
産主義に走ったのも、「無私」の衝動に駆り立てられたからだ。マ
ルクスもレーニンも否定するかも知れないが、元来私有財産制度を
廃止する為には人間はまずエゴを捨てねばならない。共産主義が日
本人の深層意識の底にある「無私」を是認するものであったが故に、
インテリの多くは無意識のうちに共産党に魅了されたのであった。
その後ソ連や中国の共産党が余りにエゴイスティックであることに
絶望して、多くの日本人が転向した。「無私」に従うことしか彼等
には出来なかったのだから、それ以外に道は無かった。
日本人は、自分が「無私」に従って生きていることを意識的に自
覚しない限り、おそらくいつまでも自他の区別をつけられないだろ
う。この短所の故に日本人は遂に一度も外国思想を理解できなかっ
た。昔も今も自分に都合の良い箇所を撮み食いして、全てを理解し
た気になっている。仏教の戒律を捨てて、先祖供養に変えたのも、
儒教の基本原理「孝」を勝手に「忠」の下位に置いたのも、この短
所を自覚していなかったからだ。
元来内面に深く思いをひそめる習慣を欠くだけに、日本人は「西
洋人にできることなら日本人にできんことなんぞあるものか」と気
軽に考え、「脱亜入欧」を唱えた。しかし黒眼黒髪で胴長短足の日
本人が金髪碧眼の足長短胴の西洋人に変身できる訳がない。外観を
変えるよりも心を変える方が遙かに難しい。「和魂洋才」なんて言
ってみたが、結局千年前の「和魂漢才」の二番煎じだった。漢文を
訓点をつけて和文として読みくだした時と同様に、己れの未成熟で
矮小なエゴを外国人の逞しく強靱なエゴと同一視してしまった。
千年前に試して失敗したのに、性懲りもなくまた繰り返した。自他
をきちんと区別できない、これが日本人の特徴だ。この点に関する
限り、昔も今も同様だ。「和魂」とか言ったが、何が和魂なのか全然
知らなかった。知らぬくせに知っていると思い込んでいた。
日本人は元来「無私」だ。純粋な日本人ほど「日本人とは何者か」
なんて問わないし、問う必要を感じない。いかなる意味でも自己像
不要なので、「日本人論」の必要も感じない。しかし明治以降日本
人はいささか西洋人と接触してエゴイスティックになった。自己像
を確立する必要を感じ始めた。「日本人論」が流行するのは現代日
本人が非日本化し始めた証拠だ。しかしつい最近よちよち歩きを始
めたばかりなので、恐ろしく脆弱矮小なエゴしか持てない。ありの
儘の己の姿を正視するなんて思いもよらない。「日本固有のものは
何か」なんて目を皿のようにして捜し廻っている。
人類は皆兄弟だ。日本人だけ独自独特ユニークだなんて思いたが
っても、それは無理というものだ。そもそも日本固有のものなんて
何にもありはしない。日本独自のものなんてせいぜい日本語位のも
のだ。それだって学問的に見れば、朝鮮語や蒙古語やトルコ語とは
類縁関係にある。人類発祥の地は日本列島だったなんて主張できる
のか?日本民族は他の民族とは隔絶した独特の伝統や文化を有する
と証明できるのか?例えば、奈良文化なんて殆ど朝鮮渡来のものば
かりではないか。それ以前に日本列島にいかなる文化があったのか?
今迄に発掘採集された考古学資料のなかには日本文化の独自性を証
明するものなんか何一つ見つかってはいない。
日本人は太古以来小さな島国のなかで比較的平和にのんびりと暮
らしていた。殆ど自分のライフ・スタイルを変える必要がなかった。
それに対して大陸の諸民族は厳しい生存競争を強いられ、殺戮の応
酬を繰り返す中で民族的個性を発達させ、否応なしに自己変容を遂
げさせられた。それで日本人がユニークに見える。ユニークになっ
たのは日本民族ではない。日本民族は太古以来変わっていない。他
の民族があまりに個性化し、ユニークになり過ぎてしまったのだ。
神道だって北方シャーマニズムと中国土俗宗教(道教)と南方の自
然崇拝の三者のミックス・ジュースだ。日本固有のものとは言いき
れない。(このミックス・ジュースのエッセンスが「無私」だ。)
「無私」はだから厳密に言うと日本民族の専売ではない。もし日本
独特のものがあるとすれば、太古以来不変の(もしかしたら普遍の)
人間性を保持している点にある、と見るべきであろう。
日清、日露の両戦役に勝利して日本人の自尊心は膨張した。大日
本帝国のかち得た栄光を自分が独力で獲得したかの如く思い込んで、
悦にいっていた。欧米に対しては謙虚無私そのもの、卑屈ですらあ
ったのに、時流に遅れた(と日本人の見た)中国朝鮮に対してはこ
の上なく尊大傲岸に振る舞った。欧米諸国が普仏戦争や南北戦争で
アジア侵略のテンポを緩めた僅かの間隙を縫って、辛うじて日本は
「近代化」に成功したにすぎない。時の運に恵まれた成功にすぎな
いのに、日本人はそれを独力でかち得たかの如く思いこんだ。そし
て「近代化」に遅れを取った中国や朝鮮を徹底的に蔑視した。二千
年間文明の師と仰いでいた民族に対して無礼極まる態度を取った。
「無私」が不当に抑圧されたので、それは怨念と化した。意識の
奥底深くに澱み、とぐろを巻いて出番を窺っていた。日本人は心の
奥底では元来「無私」をベストと信じているだけに、大日本帝国の
存在が大きくなればなる程、帝国と自分を同一視し、「滅私奉公」
にのめりこんでいった。「近代化」を推進すればする程、無意識の
領域では「無私」が優勢になり、日本人は心理的に退行し古代人に、
いや太古の民の昔に回帰してしまった。合理的思考を最も必要とす
る人々が真先にそうなっていった。まず高級軍人が神憑り的になっ
た。
「二・二六事件」を起こした青年将校たちは「君側の奸を討つ」
と称したが、天皇の傍から悪者を排除すれば後はオートマチックに
全てが正常化すると信じていた。彼等には、自分の手で政治改革を
行おうなんていう気はさらさらなかった。まさに「無私」に従って
行動していた。その証拠に重臣を殺害した後の計画は何もたててい
ない。その後始末は天皇がよろしくやってくれる筈だと勝手に妄想
していた。
天皇の任命した重臣を殺せば、それは取りも直さず、天皇に対す
る反逆であり、死刑を覚悟して当然だ。ところが彼等は自分たちの
行為は国の為なのだから、天皇は結局許してくれるのではないかと
期待していた(らしい節がある)。自分が信頼し、任命した部下を
殺されて喜ぶ上司なんている訳がない。彼等はいったい天皇を何だ
と思っていたのだろうか。
青年将校たちは天皇の怒りを夢想だにしなかった。青年将校だけ
ではない、大将や元帥たちも同様だった。天皇は国事には一切口を
挟まないものだとばかり思い込んでいた。例外が一人いた。大元帥
である天皇その人だ。「朕自ら近衛連隊を率いて討伐する」と言い
出されて、青年将校を陰で煽動して政権奪取をもくろんでいた将軍
たちも従わざるを得なかった。しかし内心は不平不満で一杯だった。
それで連中にとっていちばん邪魔っけな忠誠な軍人たちに「皇道派」
というレッテルを貼って「二・二六事件」の黒幕であったかの如く
宣伝して、天皇を瞞着し、彼等を陸軍の中枢から追放しようと企ん
だ。この陰謀に乗せられて、天皇は真崎甚三郎などの正真正銘の股
肱の臣を一挙に失った。その後はいわゆる統制派の天下だった。
天皇は宮中深く閉じ込められ、あらゆる発言を封じられ、事実上禁
治産者の扱いを甘受しなければならなかった。
軍人勅諭の冒頭には「軍人ハ政治ニ干与スヘカラス」と明記され
ているにもかかわらず、陸軍参謀本部の高級将校は密かに盟約を結
び、「統帥権ノ本質ハ力ニシテ其作用ハ超法規的ナリ」「兵権ヲ行
使スル機関ハ軍事上必要ナル限度ニ於テ直接ニ国民ヲ統治スルコト
ヲ得・・・」(陸軍参謀本部『統帥参考』)と考えて、天皇も憲
法も無視し、本当に現役軍人ばかりから成るサーベル内閣を拵えて
しまった。トロッキーの永久革命理論を下敷きにして永久戦争論を
ぶち、その挙句の果てがあの泥沼戦争だった。意気地のないことに
当時の大新聞は軍部のお先棒を担ぐしか能が無かった。
昭和軍人だけが例外だった訳ではない。日本の歴史はこれ全て憲
法違反の連続なのだ。八世紀初め「大宝律令」を中国に倣って制定
し公地公民の制を布いたが、大貴族の猛反対に出会い忽ちにして有
名無実にされてしまった。平安時代天皇が譲位後も、上皇と称して
「院政」を行っていたし、鎌倉武士団は幕府を拵えた。執権北条氏
は「貞永式目」を発布して全国を統治したが「貞永式目」は目録み
たいなもので「律令」を無視するものではない、と言い繕って平然
としていた。その後七百年以上も武家政権が日本全土を支配し続け
た。しかし「律令」は名目的には存続し、明治初年になって漸く廃
止された。
敗戦後の「日本国憲法」も戦前の「帝国憲法」と同様に、いつの
間にか無視され棚上げされている。日本人にとっていつの時代も憲
法というものはどうでもいいものらしい。現憲法を大日本帝国議会
が採択した故を以て有効とし、国民投票にかけようとすらしなかっ
たことを想起せよ。日本国においては「憲法」というものは、いつ
の時代も無視され棚上げされる運命にある。
そもそも現憲法は大日本帝国議会が可決し天皇の承認を経たもの
である。形式上は天皇から国民に与えられた欽定憲法である。当時
の情勢が天皇をして新憲法を発布せしめた。ということは再び情勢
が変われば天皇は憲法を破棄することも可能な訳だ。
日本国憲法第九条には「・・・陸海空軍その他の戦力は、これを
保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあるが、政府与党
は「自衛のための戦力保持は許される」として済し崩しに再軍備を
行い、今や日本自衛隊は世界有数の軍隊に成長してしまった。さす
がに野党や大新聞は自衛隊の存在は憲法違反だと騒いだが、彼等と
て憲法を適当に撮み食いしているだけだ。
首相や閣僚が靖国神社に公式参拝するのは憲法違反だと、野党や
大新聞は批判するが、面白いことに彼等は首相の伊勢神宮参拝を決
して批判しない。敬虔なクリスチャンが首相になっても(片山哲、
大平正芳)新年の伊勢神宮参拝を欠かしたことがない。まるで憲法
に「日本国首相は新年には伊勢神宮に参拝しなければならない」と
明記されているかのようだ。無論そんな条項は無い。ただ第二十条
第三項に「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動も
してはならない」と記されているだけだ。この条項からどうして
「靖国はダメ、伊勢はヨロシイ」という解釈が引き出せるのだろう
か。
靖国神社は昔陸海軍省の所管だった。たとえ国の為に死んでも陸
海軍省が「ウン」と言わなければ、民間人は靖国神社に祀ってもら
えなかった。敗戦後日本は平和国家として再出発した。それなら戦
死者ばかりを祀って、平和日本の建設の為に死んだ人々を祀らない
のは、筋が通らない。海外出張中にテロに会って死んだ商社マンも
少なくない。彼等は日本人であるが故に命を狙われ殺されたのだ。
彼等の犠牲の上に日本の現在の繁栄は築かれたものである。彼等の
霊を祀らずして、どうして我々は繁栄を享受できようか。戦死者の
遺族の数は限られている、そして早晩死に絶える。その時一体誰が
靖国の英霊を祀るだろうか。靖国神社の将来の為にも、又平和国家
日本の面目にかけても、世界平和を維持する為に死んだ人々の御霊
を靖国神社に祀るべきであろう。その為には靖国神社はもっと良い
環境の地に、例えば伊勢神宮の近くに移したほうがよい。そうすれ
ば伊勢参りのついでに多くの人が心安らかにお参りできる。歴史博
物館を併設して国の為に命を捧げた人々、つまり靖国神社に祀られ
た人々の遺品やその功績を偲ばせる品々を展示するのも一案であろ
う。そうすれば靖国神社は別に国費によらずとも、伊勢神宮同様に
民間の資金で充分に維持できる筈だ。海外に多くの駐在員を送る商
社や企業も喜んで募金に応ずるだろう。何でも国家にオンブしてと
いう発想をこれからは出来るだけ捨てねばならない。靖国神社を例
外として措置すべきではない。
日本国憲法第二十条の本文には「・・・いかなる宗教団体も国か
ら特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とあるけ
れど、日本最大の宗教団体である創価学会が、公明党という政党を
作って堂々と政治活動を行っている。しかし日本人は誰も怪しまな
いみたいだ。憲法第八十九条には「公金その他の公の財産は、・・
・公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これ
を支出し、又はその利用に供してはならない」とあるが、野党は積
極的に私立大学に対する国庫助成を要求し、政府に承認させてしま
った。
日本政府自身が「超法規措置」(=憲法違反)を実行している。
日本航空旅客機がハイジャックされた時、福田首相は「人命は地球
より重い」と迷言を吐いて、過激派テロリストの要求に屈し、収監
されていた彼らの仲間を釈放し、中古ドル札で六百万ドル支払った。
そして彼はこれを説明して「超法規措置」と称した。世界のマスコ
ミは厳しくこの措置を非難したが、日本の新聞はすべて黙殺し、福田
首相を支持した。近代国家においては権力の座にある人間にこそ、
憲法遵守の義務があると考える。欧米では常識なのだが、日本では
ちがう。日本は法治国なのだろうか?
日本人の法意識には独特なものがある。現実の必要が常に憲法に
優先する。いつの時代も日本人は「法を守ることは正義を守ること
だ」なんて考えたことがなかった。外国人から見れば、特に『ヨハ
ネ福音書』の冒頭の「初めに言葉ありき」を信ずる人々から見れば、
「日本人は平和憲法を持っているからこそ恐ろしい。いつなんどき
突如憲法を無視して侵略戦争を仕掛けてくるか判らない。」そう見
えてしまう。日本人はいつ、いかなる理由で態度を変更するのか、
外国人にさっぱり見当がつかない。しかし日本人にも判らないのだ。
無意識裡に「無私」を内的規範としているので、現実の必要に合わ
せて行動することしかできない。しかも自分の従うところの内的規
範を自覚的に把握していないものだから、自分の行動を外国人の納
得のゆくように説明できない。「自然にこうなった」としか言えな
い。しかしこういう国は外国人にしてみれば危険この上ない。何を
仕出かすのか全然予測できないのだから。日本が必要以上に執拗に
外国から厳しく批判される主なる理由はここにある。「とにかく大
事に到らぬうちに、叩いておくに越したことはない」のだから。
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