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http://www.erc.pref.fukui.jp/eco/kfs/mina/kfs12.html
福井大学教授 桜井康宏さん・経歴 名古屋市にて1947年出生。名古屋大学大学院修了後、71年に福井大学に着任。専門は建築計画学で、「施設づくり」や「まちづくり」の運動に参加しながら、地域に根ざした実践的な研究を試みている。また、県環境審議会特別委員(都市計画)として、環境基本計画の策定に参画。
◆日本からデンマークへ
90年代に入ってから4度、北欧のデンマークを訪ねました。
福祉先進国と言われる彼の国で、障害者福祉や高齢者福祉の実情を体験することが目的でした。
既にいくつかの書物で紹介されているように、どんな施設も個室が当り前」とか「寝たきり老人がいない」とか「ヘルパーの数は日本が目標としている数値の既に10倍以上」等など、確かに福祉の水準の高さは驚くばかりでしたが、何よりも感動したのは、あらゆる場所で個人の「自己決定(自分で決める)」ということが尊重され、障害者であれ高齢者であれ、あるいは子供であっても、自分の生き方や生活を自己決定できることが「自立」への最大の要素と見做されていることでした。
そして、所得の約半分を税金として拠出したうえで、住宅や教育・医療・福祉という生活の基本的な部分での不安が一切ない社会を築き上げ、その中ですべての人が自分の「自立」を目指して真剣に生きている、人によっては途中でつまづいたり回り道をすることがあっても、社会は暖かく受け入れ支援する……それがデンマークという国の姿のように思われました。
ここでいう「自立」とは、日本の辞書にある「他の援助や支配を受けず自分の力で身を立てること」(広辞苑)といった考え方とはやや異なり、むしろ英語では「アイデンティティ」という言葉で表される「自分らしさ」を発見し、自分らしく生きること、自分の生き方を見つけるといった考え方のように思われました。
そして、このようにして「自分らしさ」を追求するということは、他人の「らしさ」を認め合うことでもあり、人間だけでなく自然界のすべてのものの「らしさ」を認め合い、共に生きることのできる社会のあり方を追求することにつながります。
それが、「共生」であり、それぞれの地域の「らしさ」の総体が「地域らしさ」となって現われます。
このようなデンマークの「らしさ」を象徴するものの1つが、「風車」の存在です。
平坦地で川も少ない風土で水力発電もままならず、スウェーデンから電力を買わなければならない時代もあったデンマークですが、一方では国民投票で「原発」を拒否し、一方では地域ごとに協同組合をつくって「風力発電」をするという姿勢に、地域の「自立と共生」の神髄を見せられた思いがしました。
◆デンマークから日本へ
ひるがえって、わが国の実情を見てみたいと思います。
手許に、平成7年度板の『国民生活白書』があります。
「戦後50年の自分史−多様で豊かな生き方を求めて」という副題のついたこの白書には、国民の生活や考え方の動向について興味深いデータが多く載っています。
その中の1つ『日常生活や生き方への意見』(1994年の東京都調査)には、40才以上の中高年齢層では「家庭や会社のために自分が犠牲になって頑張ることは素晴らしいことだと思う」という意見が最も高く50%以上を占め、「この世では自分しか信じるものがないと感じることである」という意見も40%以上で続いています。
これに対して、40才未満の若年齢層では、これらの意見は30〜40%程度に低下していますが、「世間一般の人とはちょっと違った個性的な生き方をしたい」と「何かしようとするとき、人からどう思われるか気になる方である」が共に50%以上で意見が分かれています。
このことは、大都会東京においても旧来からの「滅私奉公」型の人間が圧倒的に多数を占め、若年代の一部がそこからの脱出=自立を図ろうとしてはいるものの、「他人の目」を気にして自立しきれない……という構造が存在していることと、さらには、「共生」どころか他人を信頼しきれない……という不安定な構造が存在していることを示しています。
このような構造は、明治維新以降のわが国が「先進諸国に追いつけ追い越せ」のために邁進し、その過程で「(戦前は)お国のために」が国民の間に植えつけられ、さらには、戦後の不十分な民主化の裏で弱肉強食的な「競争」原理が植えつけられた結果と思われます。
このように、わが国における「自立と共生」の前には、近代百年の間に蓄積された大きな壁があります。この壁を取り崩すためには、同じく百年近い歳月を要するか、あるいは革命的な出来事が必要のように思われます。
いかにも、気の遠くなる話です。
しかし、一方、百年先には主流(当たり前)となっているはずのものが、「小さな芽(萌芽)」として既に現在、この社会の中に存在しているはず……と見ることもできます。
この「小さな芽」に注目することが、百年の計の大一歩のように思われます。
このような「小さな芽」は、まさに現在は主流(当たり前)ではないが故に、安易な「多数決主義」や「前例主義」の下ではつぶされかねません。少数の動きの中から「小さな芽」を発見し、それを支援しながら大事に育てること、それが行政の「先見性」というものだと考えます。
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